噛むことと脳の関係 よく噛んで食事をするということについて
テレビや雑誌などで、よく噛んで食事をしましょうということを見聞きします。
最低30回は噛んでから飲み込みましょうという話を耳にしたことはありませんか?
噛むダイエットというのも話題になっています。
噛むことで唾液がたくさん分泌され、唾液に含まれる成分によって虫歯や歯周病の予防が期待できるという情報もあります。
硬い食べ物を積極的に噛むことや、噛む回数を意識することは、身体の発育や消化をよくするためにとてもいいことです。
だけど、噛むことの大切さは、それだけではありません。
人の歴史は食べ物を軟らかくしてきた歴史
弥生時代から現代までにわたり当時の人が食べていたものを再現し、それを現代の人が食べると完食するまでに何分かかり、何回噛むかという実験データがあります。
時代 |
年間 | 食事時間 | 噛む回数 |
弥生時代 |
紀元前 5世紀〜3世紀 |
51分 | 3990回 |
鎌倉時代 |
1185〜1333年 |
29分 | 2654回 |
江戸時代 |
1603~1867年 |
22分 | 1465回 |
戦前 |
1940年 太平洋戦争 |
22分 | 1420回 |
現代 |
1991年 | 11分 | 620回 |
斎藤滋、柳沢幸恵 : 料理別咀嚼回数ガイド 風人社 東京 1991
弥生時代から鎌倉、江戸時代にかけては、食事時間がおよそ半分になり、噛む回数も少なくなっています。
数千年の時をかけて私たちの食べるものが軟らかく飲み込みやすいものに変化していったことが容易に想像できます。
では何故、人は食べるものを軟らかくすることに並々ならぬ努力をしてきたのでしょうか。
一本の歯がなくなることの意味
人の歯が物を噛みくだき、すりつぶす能力を測定する方法があります。
師分法(しぶんほう)というやり方で、測定にはピーナッツを用います。
(師分法はピーナッツなど噛んだら細かく砕ける特徴のある食べ物を一定回数噛んだあと、それをふるいにかけて砕けたピーナッツの大きさ別に分類することで、どれぐらい細かく噛み砕けているかを測定する方法です)
ピーナッツは現代でも、硬い食べ物に分類されます。
弥生時代の人も同じぐらいかそれ以上に硬いものを食べていたでしょう。
師分法によると、奥歯が一本抜けてしまうと噛む能力が半減することがわかっています。
奥歯がたった一本なくなるだけで、食べ物を十分にすりつぶすことができなくなるんです。
この結果は、恐ろしいことを私たちに教えてくれます。
歯がなくなることは命がなくなること
歯が物を細かくかみ砕きすりつぶすことで、消化にかかる胃腸の負担が軽くなります。
それは、胃腸などの消化器官が順調に機能していけることを意味しています。
噛む能力が半分に衰えてしまうと、食べ物を十分にすりつぶせないまま飲み込むことになり胃腸に過剰な負担がかかってしまい、やがて内臓疾患という重い病気になってしまいます。
とはいえ、当時の人たちに現在のような口や歯のお手入れをできる道具や環境はありませんでした。
容易に虫歯になったことが想像できます。
そして虫歯の治療といえば、歯を抜くしか方法がなかった時代です。
人は、歯を無くしても生きていけるよう、長い年月をかけて食べ物を軟らかくする工夫をしてきたと言えるでしょう。
歯の喪失を加工でおぎなった
豆腐を思い浮かべてください。
豆腐は歯が全くなくても、歯茎だけで十分に細かくすりつぶすことができます。
いや、それすら必要がないくらいの状態まで加工されています。
豆腐の原料となる大豆は本来硬いものです。
その大豆の原形をまったくとどめないくらい極限まで加工をほどこしています。
食べ物を粉々に噛みくだき、小さくすりつぶすという本来は歯がおこなう作業を、口に入れる前の段階で済ませています。
箸でつまんだ豆腐を口に入れてそのまま飲み込んでも胃腸に大きな負担はかかりません。
それでいて大豆の栄養はたっぷりと取り入れることができる。
食べ物を軟らかくすることは、生きていくための切実な欲求だったともいえるでしょう。
そして、戦前から現代にかけて、食品加工や調理技術が急速に進歩していきます。
その結果、噛む回数はさらに減っていきました。
弥生時代から戦前まで数千年の時間をかけて食事時間と噛む回数が半分になったのが、戦前から現代のわずか70数年でさらに半減したのです。
この急激な変化は私たちにどのような影響をおよぼすのでしょうか。
噛むことは脳と密接につながっている
噛むことはダイレクトに脳を刺激して活性させる働きがあります。
よく噛むことで脳は育ち、機能します。
乳幼児は食べ物を口に含み、噛み、飲み込むことで、脳をどんどん成長させているのです
噛むという行為を専門的用語で動物性機能といいます。
動物性機能とは、人や動物が生きていくために欠かせないものです。
体を動かしたり、周りの世界や環境の変化を感覚で感じたり、情動、記憶、判断、言語のような精神活動など(高次元脳機能)を行うことをいいます。
噛むことは動物性機能を発達活性化させること
食事をするときに、私たちは4つの精神活動を行っています。
1、食物認知(見た目、香り)
2、食物摂取(手触り、舌触り)
3、食物粉砕(歯触り、味、香り)
4、嚥下(のど越し)
口に入れて飲み込むまでの1分にも満たない時間の中で、これだけのことを注意、認識し記憶していきます。
それと同時に、食べることで知り得た経験と記憶によって、自律神経や内分泌系が正常に機能するようになっていくのです。
噛むということは、脳の高次元の認知活動
過去にレモンを食べて、この果実がとても「酸っぱい」という記憶を持つ人はレモンと聞いただけで唾液があふれます。
なぜ、レモンなどの酸っぱい食べ物を食べたときだけではなく、見たり聞いたりするだけで唾液がたくさん分泌されるのでしょう。
酸性の強い食べ物や飲み物をとると口の中は酸性にかたむきます。
唾液に含まれる重炭酸イオンは、酸性の食べ物や飲み物が口の中にはいると酸性にかたむいた口のなかをすばやく中和する働きがあります。
唾液の分泌を促すことで、酸性に傾いた口のなかの状態をもとに戻し、歯が溶けるのを防ぎ、消化を助けます。
レモンを見るだけで唾液がでるのは、脳が正常に機能しているからおこる生理現象なのです。
噛むことは身体を正常に保つこと
また、よく噛んで食べると、血糖値がすみやかに上昇するので満腹中枢を活性化し、たくさん食べなくても満足感を感じます。
このことから、よく噛むことはダイエット効果があるといわれているのです。
よく噛まずに飲み込む食事は、満腹中枢が正常に機能しないので食べ過ぎることになります。
その結果、中性脂肪や内臓脂肪が増え、動脈効果や脳梗塞、糖尿病などの成人病にかかるリスクが高まります。
噛むことで、脳は身体を正常に保つようコントロールしているんです。
噛むことで脳は活性化する
幼児期にいろんな食材や料理から風味や歯ごたえを経験して記憶することは、脳の高次元の成長に大きな影響を与えます。
よく噛んで、その風味を楽しむことが大切です。
その全てが経験値として脳に蓄えられ、五感が鋭くなっていきます。
年齢を重ね、入れ歯になったとしても、入れ歯でしっかりと噛むとその刺激はちゃんと伝わり脳を活性化させるので、認知症などの予防に大きな効果があります。
入れ歯になって、赤身のステーキを噛み切ることはできなくなったとしても、時間をかけてやんわりと噛みしめることで、その食感や風味を味わうことはできます。
積極的にいろいろな食材や料理にチャレンジしましょう。
よく噛んで味覚を刺激をする食事を楽しむことは、心身ともに健康で豊かな生活を送るためには、とても大切なことなのです。
【歯科医師や歯科衛生士に相談しましょう】
成長期によく噛まずにいた人や、歯や歯周組織に問題を抱えている人が、すぐに硬いものを何十回も噛んだりすることは、寝たきりの人がいきなり立ち上がり走ったりすることとおなじようなものです。
過剰な負荷がかかり、歯や歯茎などの組織や器官を傷めてしまうことがあるので注意が必要です。
まずは歯科医師や歯科衛生士さんに、自分の口の状態を診断してもらい、状態に応じた適切な食事の仕方を知ることから始めましょう。